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2009/07/05

三沢光晴さん 「お別れ会~DEPERTURE~ 」

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昨日、7月4日、三沢さんのお別れ会に参列してきました。

13:25過ぎに、会場のディファ有明の最寄り駅である、
ゆりかもめ「有明テニスの森駅」に着きました。
駅員の方に隣の「市場前駅」で降りたほうが最後尾に近いと教えていただき、
その通り(私の行った方向では)一駅戻りました。
その時点で列は駅と駅の中間ぐらいの橋の上だったでしょうか。

その後、ディファ有明側から列の最後尾を目指してたくさんの人たちが
お花を持って通り過ぎていきました。 おそらく、りんかい線や路線バスで
ディファ有明を目指してきた人たちなんでしょう。
もちろん私たちのすぐ上を通過する ゆりかもめ の車両にも、
お花を持っている乗客が乗っているのが見えました。

後ろを振り向くと、市場前駅どころか、その先の新豊洲駅あたりまで
行列が延びていました。

並ぶこと 2時間半余、ディファ有明の敷地内に到達できました。
胸が苦しくなってきました。 すでに、油断すると泣き出してしまいそうでした。
しばらく並んだ後、記帳に案内されました。 
カードに名前だけを書いて、ディファ有明の建物の入り口へ向かいました。
入った右手の壁には三沢さんのデビューから2ヶ月ほど前の潮崎選手との
タッグ・リーグ戦の優勝までの写真パネルが掲げられていました。

それを見ながら少しずつ献花式会場へ進みました。
社員の方々が会場整理にあたっておられました。 みなさんの表情をみると
悲しみを堪えながら気丈に振る舞っているみなさんを見ていると
辛いだけでなく申し訳ない気持ちにすらなってきました。

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リングが設置され、三沢さんの写真が大きく掲げられていました。
周囲にもお花や寄せ書き、ビール、フィギュア等々が供えられていました。
すでにリングにはもの凄い量のお花が献花されていました。
投げ込まないとリングにお花が届きません。

会場では「三沢! ありがとう!」 というファンの方の声が。
みんなが泣いていました。 まだ信じられない気持ちでした。
でも今日はお別れに来たのです。 
きちんと感謝の気持ちを伝え、お別れを言いました。

献花式の会場出口では選手のみなさんが並んで立っておられ、
退場する私たち参列者に挨拶されていました。
みなさん、泣いておられました。 

参列者には、三沢さんの顔のアップ写真のカードが配られました。
これは三沢さんの「理想主義者」という本の表紙の写真です。

「時間は取り戻せない。 私は後悔したくない。」 (from 「理想主義者」)

特別に作られた Tシャツも配られたのですが、私たちの少し前で
用意された数が終了したようです。
(恐ろしいことに、昨日の夜ヤフオクに出品されていたそうです。信じられない。)

貴方を慕い、貴方を尊敬し、貴方に感謝する人がこんなにも大勢いること、
関係者で 1,000人、一般で 25,000人以上の参列者も凄いことですが、
参列できなかったファンが全国にどれだけいたことか・・・・
お別れの会に行くことができて本当に恵まれていたと思います。

三沢さん、プロレスの試合を通して感動と元気をいただきました。
ありがとうございました。 安らかにお眠りください。



http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20090705-514336.html

三沢さんに2万6000人、2・4キロ涙の列

三沢さんに2万6000人が涙で別れを告げた。6月13日の試合中に急死したノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(享年46)の「お別れ会」が4 日、ノアの本拠地、東京・江東区のディファ有明で行われた。当初は5000人前後の参列を見込んでいたが、徹夜組が出るなどファンが殺到。開始約2時間半 後の午後4時前には、参列者の行列が2・4キロ離れた中央区晴海に達した。献花台となったリングはトップロープまで花に埋め尽くされ、改めて三沢さんのプ ロレスの枠を超えた存在の大きさを浮き彫りにした。

 献花のために特設されたリングは、トップロープまで花で埋まった。「三沢、ありがとう」。大勢のファンが涙を流し、絶叫しながら花を投げ入れた。 リング正面上のGHCヘビー級のベルトを巻いた等身大の三沢さんの遺影が、途絶えることのないファンの涙をじっと見つめていた。会場の外に特設された机に は、酒や寄せ書の色紙があふれ返った。

 突然の死から3週間がたった。しかし、ファンの三沢さんを悼む気持ちは、少しも薄れていなかった。当初、ノア側は5000人ほどの参列を見込んで いたが、27度を超える蒸し暑さの中、5倍を超える2万6000人もの参列者が駆けつけた。前日3日の午後4時半から会場前に徹夜組が並びはじめ、会が始 まる5時間前の午前9時の時点で300人に膨れ上がった。

 一般ファンの献花が始まった午後2時すぎの時点で、4列縦隊の参列者は5000人に達し、列は会場のある江東区有明から豊洲まで延びた。会場最寄 り駅のゆりかもめ「有明テニスの森」駅では、お別れの会参列者に2駅離れた「新豊洲」駅で降りるようアナウンスされた。同3時50分には列は2・4キロま で延び、区の境界線もまたいで中央区晴海に達した。

 ファンにとって三沢さんは、プロレスラーを超えた存在だった。お別れの会の参列者数がそれを物語っていた。一番乗りの西東京市の男性会社員 (34)は「遺影にありがとうと伝えたかった」と話した。来賓のフリーアナウンサーの徳光和夫(68)も弔辞の中で「我が国にとっても掛け替えのないリー ダーを失った。臓器移植への啓発活動、プロレスラーのセカンドキャリアの問題など、弱者に対する心配りがあった。総理大臣の座につけるようなスケールの大 きさがあった」と、プロレスの枠を超えた故人の存在感の大きさを強調した。

 2万6000人という数字は、低迷するプロレス界に大きな力を与えた。今年1月4日、新日本東京ドーム大会で三沢さんと対戦した中邑真輔は「ディ ファ有明の周りを埋め尽くすファンの方々を見るとやっぱり存在の大きさを感じる。プロレスの歴史、伝統を守りつつ、色を出していかないと。リングの上で思 う存分生きざまを見せていかないと」と気合を入れ直した。

 一般の献花は予定を1時間半以上を超えて午後7時33分で終了した。百田光雄実行委員長は「それだけ三沢社長の人気があった。追悼興行も考えない といけない」と話した。プロレスラーの佐々木健介は「この(ファンの)数を見てもらえば、どれだけ素晴らしい人だったか分かる。尊敬していたし、おとこ気 がある人。自分もほれていました」。ファンからも、ライバルからも愛された故人を象徴する「告別式」で、三沢さんが航海に旅立った。

 [2009年7月5日9時12分 紙面から]

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